ハーレーダビッドソンに乗ってよかった6つの理由:1929年ビビアンからの手紙

1929年、歴史的な世界恐慌という試練がアメリカを襲う中、ビビアン・バレスは、愉快な旅の真っ只中でした。彼女は、世界で初めてアメリカをハーレーダビッドソンで走破した女性ライダーです。ハーレーが人生にもたらすインパクトは、今も昔も変わりません。彼女がハーレーツーリングを通じて得た感動の体験を手紙に書き残していました。ハーレーでツーリングすると、どんな奇跡が起きるのでしょうか?『ハーレーダビッドソンに乗ってよかった6つの理由』をハーレーと熱狂的に生きた女性ライダー、ビビアン・バレスに聞いてみましょう。

 

(画像元:Sarah P Morris

ハーレーで全米を駆け抜けた初の女性ライダー、ビビアンからの手紙

ライダーであることで、人生にどんな奇跡が起きるのか?彼女が書き記した冒険の物語

(記事元:Woman Riders Now

 

第1話: ハーレーで全米ツーリングをした初の女性ライダー:1929年

 

その後ビビアンは、ボルチモアまで来ました: ウィルミントン、デラウェア、フィラデルフィア、トレントン、ニュージャージー、ニューワーク、ニュージャージー、それからニューヨークへ。

 

さあ、アメリカの表玄関、ニューヨークに着きました。たった一つの街がこんなに大きいなんて、想像を超えていました。5番街を走っても走っても、この通りの終わりまで絶対行きつかないんじゃないかと思うほどに大きかったのです。

ハーレーツーリングの奇跡1:みんなから声をかけられる

信号を待っている間は、大勢の人々が一瞬で私を取り囲んで質問攻めにするのです。

「どこから来たの?」 「誰かと一緒?」「ご家族はどう思っているの?」「アクシデントはなかった?」「バイクのスピードは?」

地下鉄の響き、路面電車の鐘の音、高架鉄道の轟音、ブレーキの甲高い音が重なり、このジョージアの田舎から来た小さな女の子を混乱させるのです。でも、すぐになじんで本物のニューヨーカーみたいに、アイリッシュポテト、硬いロールパンを頬張り「ソイティーソイド」って言うようになったんですよ。

【訳注:アイルランド系移民が多かったニューヨークは、当時発音にまだアイルランド訛りの影響が見られたようで、それをおちょくった歌の中に、「thoity-thoid(33:thirty-third)」という言葉が登場した。ちなみにジャガイモもサツマイモと区別するためにIrish patatoと呼ばれることがあった】

 

ハーレーツーリングの奇跡2:感動の絶景を目の当たりにできる

ニューヨーク州オールバニ(ビビアンの出身地ジョージア州オールバニとは別)へ向かう道は、ハドソン川の土手沿いでとても美しく、パリセーズ峡谷の素晴らしい眺めがときどき見えるのです。


ハドソン川ジョージ・ワシントン・ブリッジが描かれたポストカード
(画像元:Digital Commonwealth


ハドソン川沿いに続く絶壁『パリセーズ』
(画像元:Wikipedia

 

1609年に、ヘンリー・ハドソンがその川を探検したので、彼の名前がついています。300年後の1929年現在、私は、私にとっては全く同じように初めてでスリリングなその土地を、探検しています。私の方は光の速さで駆け抜けることができますが、ヘンリー・ハドソンは自分の船の帆をはらませるよう、きっと風にお祈りしたんですよ。そして、トレントンを発って以来、初めて平野にたどり着いたのです。ああ、平野にとって代わるもんなんかありません。暑く息苦しい、混雑した都会から逃れてやってきたのです。鳥かごから解放された鳥みたいな気持ちでした。

ニューヨーク州ローチェスターには、二つの有名なものがあります。『コダック』、そしてハーレーダビッドソン・ディーラーの『ジミー』です。 彼があの懐かしくこそばゆい南部訛りを聞いて、ホームシックになるところでした。

 

ハーレーツーリングの奇跡3:新聞に掲載される

朝刊に掲載された私の写真と長い記事が一面に載ったときといったら、それはもうぞくぞくしちゃいましたよ。私が走っているのを見つけるとみんな立ち止まって見ていました。たくさんの人が質問し、私の旅の成功を祈ってくれました。

オートバイ業界は、もっと好ましい宣伝をすべきだと思います。そうすれば、人々は、それが危険でワイルドなことだと思わなくなるでしょう。

バッファローからデトロイトに向けて、カナダルートを選びました。第一平和橋を渡ってカナダに入ったのです。まあ、なんて素敵な道だったことでしょう。私たちは、このリボンのような高速道路を渡って行ったのです。オンタリオ州ロンドンで、その夜を過ごしました。そこでは、警察署長さんと新聞記者の皆さんが、彼らのかわいらしい町に快く迎え入れてくださいました。私はカナダが好きで、いつかもっと見て回るつもりです。実は私、今、「旅行熱」に浮かされているんですよ!


写真:カナダ側から見た平和橋

写真:平和橋が描かれた切手。アメリカとカナダの平和の象徴として白い鳩が舞う。

 

ハーレーツーリングの奇跡4:熱烈に歓迎される

デトロイトは素晴らしい町で、今まで見た中で、一番にぎわっている工業都市だと思います。そして自動車!そこには何百万台もの車があるに違いありません。

ハープ兄弟はとても立派で、私にデトロイトを見せてくださり、私がくつろげるようになんでも手配してくれました。フォードさんがデトロイト不在だったのは残念でした。彼のサインが欲しかったのに。だけど、手に入れましたよ!

ここでまた、市長、警察署長、新聞記者たちから、熱烈な歓迎を受けました。この時までに私は無意識で笑顔をつくるようになっており、フラッシュライトのまぶしい光やシャッター音にも動じなくなっていました。さよならデトロイト、私たちはミシガン州の州都ランシングに行きました。ミシガン州には速度制限法がないので、我が友45にブンブン言わせましたよ。

 

ハーレーツーリングの奇跡5:人の親切に触れる

この旅でゴーグルについて学んだことがあります。それは、安全ガラス以外信用してはいけない、ということです。一匹の虫が私のゴーグルを割ってしまい、ガラスの破片が私の右目に入りました。ランシングのお医者さんがそれを取ってくれましたが、彼はエンスージアスト・ガールから、一セントもとりませんでした。ミスター&ミセス オスカーレンズ、というのはミルウォーキーのバイクショップですが、そこの有能なアシスタントさんが私の世話をして、町を案内してくださいました。ランシング滞在中にグリーン知事にお会いして、アルバムにサインをいただいて帰りました。市長さんと警察署長さんのサインもいただいちゃいましたよ。

 

ハーレーツーリングの奇跡6:いい人たちだけと過ごせる

ジャック・スペンサー巡査が、私をサウスヘブンにエスコートしてくださいました。私たちは、7月25日の夕暮れ時、そこへ着きました。行く途中、私達はスロットルをはずし、私のかわいい45は、速度計の針を限界の85まで振りました。私はジャック巡査から逃げたのです!これは言わないほうが良かったでしょうね。ジャック巡査は紳士です。そして私は、この場を借りて、オランダ―本部長が彼を選んだことを祝したいと思います。これを読む女の子たちのために告白しますが、私は多くの場所から離れたくなかったし、たくさんの良い人たちと別れたくありませんでした。

サウスヘブンでは、バル・ガルブレスさんと、最も楽しい三日間を過ごしました。バルとは二年間文通していたので、会う前からお互いのことを良く知っていたのです。エンスージアストは私たちを引き合わせたように、本当にたくさんのハーレーダビッドソン友達を私に作ってくれました。バルは自分のシングルに乗っていて、とても楽しんでいます。ああ、バルのような女の子がもっと増えますように。私たちと同じスポーツをする女の子が増えますように。本当に、バイクに乗ることは一部の人たちが考えているような荒々しいものじゃなくて、素敵なことなんです。私が知る限り、最も清潔なアウトドアスポーツです。何より、一番楽しくて、スリリングで、経済的な移動手段です。冗談じゃないですからね!

初めてバルに手紙を書いたときは、彼女に会えるなんて夢にも思いませんでした。バルは、出発してから出会った初めての女性ライダーでした。でも、私はその後学んだんです。実はこの世界は小さいんだと。

事実、彼女以外の女性ライダーを見たことがありません。そして、バルが45を手に入れてもちっとも驚きません、彼女は私の45を気に入ってましたから。気があって、その上オートバイの話を理解し良さを分かち合い、さらにはパーティーやダンスの本音トークができる女の子に出逢うということは、そうあることじゃないでしょうね。さて、次はどうしましょう?皆さん、私は今晩、ボートでミシガン湖を渡ろう、

そして朝はミルウォーキーで、私の良き友ハーレーダビッドソンの故郷で目覚めよう、って話してるんですよ。超楽しいんですけど!

 

まとめ

白いシャツ、白い乗馬用トラウザーでハーレーと共に駆け抜ける女性。時は1929年、彼女を目にした多くの人が彼女を放ってはおけなかったでしょう。大胆で、しかもチャーミング。全国のハーレーディーラーが、新聞社が、警察、政治家までもがみんな彼女の味方になったことが真実であることに疑いの余地はありません。バイクは危険、不良というレッテルを貼られがちですが、一方で誰もが憧れている『生き方』でもあります。健全な反骨精神を持って旅に出たビビアンが得たものは、何物にも代えがたい経験、出会い、生き様として後世に伝えられています。あなたにもグレートなハーレー体験がありますように。


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やりたいことやる時、必ずあんたの足を引っ張るヤツが出てくる。いいか、そんな時こそフルスロットルで全力疾走するんだぜ。

– ハーレー仙人 –

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