ハーレー雑誌で表紙を飾った初の女性ライダー:1929年

日本を横断すると、約3000kmほどになります。この距離をハーレーで完走した人がどれほどいるでしょうか?今回登場する、ビビアン・バレスは1929年、ハーレーダビッドソン45ツインDモデルで、全米8000kmのツーリングを完走しています。約100年前のアメリカを女性一人が横断したことは、たちまちニュースとなり、語り継がれる伝説となりました。

一人の女性が思い立ったツーリングが、多くの人を巻き込んでいく物語です。

 


Harley-Davidson Enthusiast Girl Taught Herself To Ride

1929年に最初のHDカバーガールになった女の子が、8000㎞を走破する物語

 

1. ハーレー史に名を刻んだ、女性ライダー

「エンスージアスト・ガール」。彼女は若い女性ライダーで、1929年の5月と11月にハーレーマガジン『ハーレーダビッドソン・エンスージアスト』誌のカバーに登場し、このカバー撮影の後、ハーレーダビッドソンで全米を旅しました。ハーレーダビッドソンは、これからも常に、彼女が全米ツーリングで広めた善意に感謝し続けるでしょう。彼女はその旅で、最初の偉大な女性ライダーとして歴史にその名を刻みました。

ハーレーダビッドソン創立者アーサー・ダビッドソンは、ビビアン・バレスを『ジョージアの桃』と呼び、全米の新聞が彼女を称賛しました。しかし現在は、残念ながらビビアン・バレスの偉大なる功績を知る人はほとんどいません。

訳注:ジョージア州は桃の名産地で、愛称も「桃の州(Peach State)」】

 

2. ハーレーダビッドソンBモデル

ビビアン・バレスは、1909年1月に生まれました。誕生後まもなくして彼女の家族はフロリダからジョージア州オールバニに移り住みました。1926年に高校を卒業すると、ビビアンはダンスを教え始め、それまで手にしたことのない額のおこづかいを手に入れました。

この自由に使えるお金が、彼女にあるひらめきを与えました。なぜ、今手頃な価格のオートバイでもっと広い地域を回ることができるのに、未だに馬で旅し続けているのか?

1926年、ついに彼女は人生初のハーレーダビッドソン、モデルBシングルを購入したのでした。


Harley-Davidson Model B 350cc
(画像元:YESTERDAYS

 

ビビアンは、身長158㎝体重43㎏しかなく、バイクをキックスタートさせることすらできませんでしたが、そんなことお構いなしです。練習してあっという間に乗れるようになりました。乗れるようになると親友のジョーゼフィン・ジョンソンと、フロリダ州セントピーターズバーグへ、483㎞以上のツーリングへ繰り出しています。

彼女の大胆なハーレーストーリーに魅了された地元のハーレーダビッドソン・ディーラーは、セントピーターズバーグの新聞に掲載されるよう手はずを整え、ついにはアトランタジャーナルにまで掲載される運びとなりました。
この旅行の成功と、さらなる冒険への情熱に突き動かされ、バレスはシングルを1929年式45ツインDモデルに買い換える決心をしました。

3. ハーレーダビッドソン45ツインDモデル


Harley-Davidson D model(画像元:YESTERDAYS

彼女はこのバイクを「本命」と呼び恋人のように親しみました。新しいオートバイの力を得て、彼女は「ハーレーダビッドソン・エンスージアスト」の編集者ハップ・ジェイムソンに手紙を書き、バイクで北へ向け一人旅をしたいのだと伝えました。

写真:ハーレーダビッドソンはそのツーリングの公式スポンサーにはならなかったにも関わらず、彼女を「エンスージアスト・ガール」と呼ぶことに決め、その称号を示すセーターを2枚を支給した。後に、彼女はこのトロフィーを受け取った。

 

4. 伝説のツーリングから、永遠の旅立ち

ビビアンの有名なツーリングは1929年の夏、敢行されました。当時まだ若干20歳で、ハーレーダビッドソン・エンスージアスト誌だけでなく、多くの国内メディアに取り上げられたました。行く先々でバレスは、地元の名士やハーレーダビッドソンのディーラーを訪れました。そのほとんどが彼女のツーリングの支援していました。旅の途中ではフーバー大統領にも会っています。バレスは78日間の旅で、約8000㎞を走破しました。

この有名なツーリングの後も、バレスはバイクに乗り続け、フロリダ州タラハシーのオートバイレースでスタントライディングをやっています。

ここまで熱狂的なバイカーになったにも関わらず、実は次の新しいオートバイを買うことはありませんでした。

ビビアン・バレスが93歳の誕生日を3週間後に控えた2001年12月23日、ついに彼女はこの世を去ります。あの時のハーレーダビッドソン体験が、人生において最も重量なことの一つであり続けたと語っていました。その彼女が葬列はオートバイでやってほしいというリクエストはとても意義深いことでした。彼女の願いはオールバニのフリントリバー・ハーレーダビッドソンによって実現されました。最後にふさわしい、全てのハーレーダビッドソン・ライダーの自由な精神を表す式となりました。

 

5. ハーレーツーリングがもたらす奇跡とは?ビビアンの手紙より

ジョージア州オールバニから出発したビビアンは、自分の冒険を記事にして記録していました。その記事は「ハーレーダビッドソン・エンスージアスト」の1929年11月号と12月号に掲載されています。以下に引用します。

 

あれは夢だったのでしょうか?夢だったような気がします。だって私は、今年したような旅ができるなんて、全く期待したことがなかったのですから。私の記録を誇りに思わざるを得ません。この合衆国の最も人口密度の高い地域を8000㎞、しかもたった一人で、駆け抜けたのです。もちろん、このことについて、私の家族やオールバニの人たちからは、全く応援してもらえませんでした。でも、私は「大バカ」をやる決心を固め、事実やってしまったことを、今、喜んでいます。

3年前、最初のハーレーダビッドソン・シングルを一台買い、バイクに乗り始めました。そのシングルを手に入れた瞬間、私は全米へのカギを手に入れたのだと知りました。私はあちこち旅行することができるようになったのです。冒険が私の血を騒がせました。女の子はバイクに乗るべきでないと聞いたときは、ものすごく腹が立ちました。カンカンになりました。もちろん私は彼らに自分の考えを率直に言いました。私は一瞬だって、自分でお金を貯めて自分の最初のオートバイを買ったことを、悪いと思ったことはありません。私はいつも、ほとんどの女の子がしないことー大西洋を飛んだりとかーをしたいと思うのです。私のオートバイは、私の冒険心を満たすチャンスをくれたのです。

エンスージアスト誌の編集者が「エンスージアスト・ガール」を名乗ることを許してくれたことで肩書きを手に入れることができました。ステキな名前をありがとう!ハーレーダビッドソン45に乗っている以上、旅のルート沿いのハーレーダビッドソン・ディーラーを訪問しないわけにいかないじゃないですか。だから、そうしました。そしてもし読者の皆さんのうち誰かが、ハーレーダビッドソンでツーリングしようかどうか考えているとしたら、思い切ってやっちゃってください。ハーレーダビッドソンのディーラーは、地理上あちこちに散らばってありますからね。

6月1日の朝、私のことを信じてくれなかった憂鬱な家族や友人達をほったらかして、ジョージア州オールバニを発ちました。荷物をラックにくくりつけ、白い衣裳でおしゃれして、喜びで胸を躍らせ、ちょっぴり新しいことをやるために出発しました。そこから、アメリカ14州、ワシントン、カナダの州を探索しながら、78日間で8000㎞以上を行く、私の冒険が始まったのです。

アトランタ新聞も好意的に接してくれて、私の写真とこの旅の物語を掲載してくれました。この人達は、これは全部冗談で、女の子がこんなことを始められるはずがないと思っていたんでしょう。アトランタにいるとき、サインを集め始めて良かったと思います。だって、今ではノート何冊分にもなるのですからーその多くは本当のセレブの名前です。まったく、あちこちの警察署長、市長、知事、ハーレーダビッドソンン・ディーラー、新聞記者、有名なバイカーへの紹介状は、めちゃくちゃ大事ですよ。

 

レオ・ノブリックとは、アトランタからオーガスタまで80㎞の道のりを、一緒に走りました。オーガスタのハーレーダビッドソン・ディーラー、ボブ・スメローとは、32㎞行ったところで会い、彼の美しい町へエスコートしてもらいました。オーガスタではもうバイクがすっかり普及していました。男の子たちは、どこかへ行くとなるとバンバン音を立て、楽しんでいましたが、私にヒマな時間はなく、忙しくしていました。

 

三人のオーガスタの男の子たちが、霧雨の中、サウスカロナイナ州カムデンまでの117㎞の道のりをついてきました。濡れた粘土質の道のため、私はここに二日間足止めされました。 出発したとき、私がその赤と白の粘土の中で楽しめなかった、って思うでしょうね!やるべきことはたった一つ。コロンブスのアドバイスに従って、前進あるのみ。

そのドロドロの道路は、女の子と45には、ちょうどいいエクササイズでした。時々、十分過ぎましたけどね。でも、ジョージアでは、砂と土の道路の上をオートバイで走れるようにならなきゃいけなかったんです。 私たち(45と私)はベトベト粘土と5時間格闘すると、アスファルト道路に出て、98㎞に及ぶハンドルバーのストレッチエクササイズを経てこの日を終了しました。この道路のストレッチは、私に45を開ける機会をくれました。そして私は、ローリー(ノースカロライナ州の州都)にさっそうと乗り込みました。私はローリーでワクワクする時間を過ごし、ほとんど眠りませんでした。だけど、すべきことがあるときに眠りたい人なんか、いませんものね。

レイ・ホリデイは 新しい素敵な74Lに乗って、私と一緒にウィンストン・セーレムまで行きました。J.R.ボリングさんは、私たちとグリーンズボロで会いました。このようなハーレーダビッドソン仲間は、ライダーやディーラーで、「本当の」家族みたいです。

つまり、こんな素晴らしい人々が私のために競い合おうとしてくれるので、私はホームシックにかかりっこなかったんです。どこももっと長くいたかったのですが、まだまだ先が長い旅が、私をせきたてるのでした。

 

旅で最も感動したできごとの一つは、フーバー大統領にお会いしてご挨拶したことです。この面会は、オールバニ・ヘラルド編集者のH.T. マッキントッシュさんと、ジョージア州のウイリアム・J・ハリス上院議員がアレンジしてくださいました。大統領は誰も待たないんですよ。だから私は、チャンスを逃さないよう、待ち構えていなければなりませんでした。

期待に胸を躍らせて、たいへん慎重に、身じまいを整えました。お気に入りの白い乗馬ズボン、パリッとした白いシャツ、まばゆいばかりの白いヘルメット、白いオックスフォードシューズ、ゴルフソックス、そして胸に「エンスージアスト・ガール」と書かれた白いセーターを選びました。これでアメリカ大統領にお会いするための服装が整いました。

私は午前10時にホワイトハウスへ乗りつけ、ドキドキしてほほが熱くなりました。うちにいる家族が今私を見ることができたなら!守衛が大統領にアポイントをとっているか尋ねてきました。「ええ、そうなんです」と答え、アポイントの証明書を見せました。

 

私は大統領官邸を、部屋から部屋へ、ホールからホールへ、階段を上がったり下がったりしながらエスコートされて行きました。大きくて威厳のある、歴代大統領とその夫人たちの肖像画が、あらゆるところにかかっていました。歴代の大統領たちが古色蒼然たる様子で、エンスージアスト・ガールをじっと見つめているようでしたが、私もあの人たちを見つめ返しました。

正午前に、大統領執務室に通されました。すぐ、フーバー大統領が、部屋の向こう側で机の横に立ってらっしゃるのに気付きました。彼の親しみのこもった顔をじっと見つめながら、全力で私の最高のハーレーダビッドソン・スマイルを浮かべ、まっすぐ歩み寄って彼と握手しました。いいえ、私は彼に媚びなど売りませんでした。フーバー夫人がいらっしゃいましたからね。私はとても動揺していたので、大統領が私におっしゃったことを正確に思い出せませんが、確かに歓迎してくださっていました。部屋をざっと見渡すと、少なくとも25人の人々がいて、大統領の秘書やボディガードだということでした。なんてすばらしい経験でしょう!

私は、地球上でもっとも重要な人物と別れ、ホワイトハウスを走り去りました。私の気持ち、おわかりですよね。ああ、私はこの栄光あるアメリカ合衆国の大統領の手をとったのです。その手は、リンディやその他世界の有名人たちに挨拶した手なんですよ。

(画像元:Moto Lady

まとめ

ハーレーに魔力があるとしたら、それは人を前進させる力と言えるでしょう。女性がバイクに乗るのは、いつの時代も良くは思われません。しかし、ハーレーを手に入れたことでビビアンの人生は大きく変わりました。まさか全米を横断するとも、大統領に会うとも思っていなかったでしょう。ビビアンがもしもハーレーに出会っていなければ?あなたがハーレーで味わうすべての経験は奇跡に等しいと言っても過言ではありません。


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先が見えないことを不安に思うか、それも期待に胸を躍らすか。どうせなら楽し方を選ぼうじゃねぇか。

– ハーレー仙人 –

もし気にいってくれたら下のボタンを押してくれ。ページのカスタムに勤しむ俺の仲間たちが喜ぶからな。最後まで読んでくれてありがとよ。

 


2 件のコメント

  • はじめまして。昭和30年1955年パンヘットの特集してる雑誌ありませんか、あればゆずってくださいよろしくお願いします。

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