チョッパースタイル伝説のビルダー、『パット・ケネディー』

日本にチョッパースタイルの衝撃が走ったのは、映画『イージー・ライダー』が発端です。チョッパーとは、その名の通り「ぶった切られて」カスタムされたバイクです。1960年代中頃からアメリカでじわじわとそのスタイルが確立されていきました。

そのルーツは第二次世界大戦から帰ってきた軍人たちから始まります。当時は早くて軽量な優秀なバイクがヨーロッパから続々と登場していました。バイク整備を覚えて帰ってきた元軍人たちはバイクのあり方について見直し、アメリカのバイクの余分な部分をチョップ、つまりそぎ落としていったのが始まりと言われています。

60年代には伝説的なカスタムビルダーも登場もあり、洗練された芸術性が認められています。今回は、今もなお伝説のビルダーとして語り継がれる『パット・ケネディー( Pat Kennedy ) についてご紹介ます。

 


Art of the Chopper: Pat Kennedy – First Look

チョッパーの伝道師、パット・ケネディー

(記事元:CYCLE WORLD.COM

1. 13歳からチョッパーの仕事を始めたバイク少年


(画像元:BIKERNET.COM

パット・ケネディはホンモノです。彼は「チョッパー」を一言で「生きた証」だと言い切る孤高のバイカーです。「チョッパーとは世界の中心で、そしてそれを独り占めしたいのさ。」チョッパー乗りなら皆そう主張するでしょう。

ケネディが誰かを後ろに乗せたりすることはありません。仕事も誰かとやることはありません。アリゾナ州の高地砂漠のど真ん中で、妻のブルックと所有する300エーカーの土地に修復された納屋の中で、ひっそりとチョッパーを作るのです。かの荒野のガンマン、ワイアット・アープが、1881にOK牧場の決闘した場所からそう遠くありません。

彼はもともとボストン出身で、7歳のとき、家族とカリフォルニア州オーシャンサイドに移り住みました。

レンチを回すことができるようになってからは、ガレージで、2人の兄を手伝いました。その兄たちはチョッパーに乗っていました。12歳になる前にバイクをキックスタートさせられるようになると、兄たちのバイクに乗ることを許されました。13歳のときには有料で顧客のためにチョッパーをカスタマイズしていました。

15歳までには、見ず知らずの他人からスポーツスター購入できるだけのお金が貯まっていました。そのバイクはフォーク修理のため、質に入れられていました。そこで15歳のパットはフレームを伸ばし、さらにスプリンガーフォークを取り付け、パープルのフレームの上に据え「ほら、ションベンにまたがってるぞ笑」と言いました。

1978年、18歳で最初の 店を開きました。と言っても、実際は往診専門のステップスルーバンです。それでも彼は、非合法なオートバイクラブを含む選び抜かれた上客たちを相手に、仕事をしていきました。


2. パット・ケネディー、大学で法律を学ぶ?

ケネディは大学で法律を学びました。彼によると「生活上必要不可欠なもの」だったそうです。彼は、無法者ではありませんでしたが、アウトサイダーとして警官対応にあまり多くの時間を費やしたので、内部情報を知りたかったのです。

酒も飲まなければ、薬物や犯罪活動にも一切関わりませんでしたし、地味な服ばかりを好み目をつけられるタイプではありませんでした。それでも警察当局は、彼がチョッパーに乗っているというだけで、犯罪者の烙印を押したのです。

彼は警察に何度も呼び止められています。例えば、「パレードをするな」と注意を受けたことがありました。「パレード」とは1車線に2台のバイクが並んでいることです。他には「ハンドルバーが高すぎる」と停められたこともありました。だから彼がハンドルバーを下げて走っていると「前かがみになってる」ということで停められました。警官は、前かがみの姿勢になるときは、まだバーが高すぎるのだと言うのです。爆音のマフラーを付けているわけでもなく、ド派手なパッセンジャーペグも付けていないにもかかわらず、警察から目をつけられっぱなしでした。彼は、カリフォルニア州がヘルメット法を施行したのをきっかけにアリゾナ州に移住しました。

「俺が俺でいられないし、妥協することもできないからね。」

しかし、アリゾナ州でも警察の的になってしまい、最終的に彼は小さな町に移り、彼の所有地の周りを、高さ8フィートの監視カメラ付きの壁で囲いました。訪問者は、プライベートジェットを飛ばしてコミュニティ空港に出入りしました。

警察は覚せい剤ではなく、オートバイであそこまで騒げることをどうしても理解できなかったようです。


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3. パット・ケネディーのチョッパー哲学

パット・ケネディにとって、チョッパー・ルネサンスというものはありませんでした。彼は60年代以来、毎年約4台、彼のやり方でチョッパーを作り続けています。

「俺は血を流さずにオートバイを作ったことなんかないよ。」


(画像元:BIKERNET.COM

彼の手にはそれを証明する傷跡がいくつもあります。彼の哲学において、すべてのパーツは2つの目的を持っていなければなりません。『機能すること』と『美しく見せる』ことです。もしそのパーツが意味をなさなければ、バイクは走らないし、美しくもない、あるいは不細工で走らないただのポンコツということになります。

彼はかつて、綿密に設計されたエンジンを載せたチョッパーを作ったことがありました。そのエンジンは、彼の経験すべてを投じた最高の作品でした。彼はクライアントにクロムメッキキーまで贈呈しました。しかしそのキーは、直ちに返されました。

クライアントは、バイクを二度と走らせるつもりがなかったのです。がっくり落ち込んで黙り込んだ後、パットはクライアントに言いました。「あんたが金を払ったんだ、このポンコツはあんたのだ。」パットは未だにそのキーを大切に保管しています。

このエピソードの後もピストンもギアもない、空のエンジンケースのバイクを作るような依頼が続きました。「俺は壁にかけとくような芸術作品を作ってるんじゃないんだ。」

 

4. 顧客とバイクを一体にさせるカスタム仕事術

妻のブルックの仕事はそんな世間知らずの問い合わせと「たわごと」の90%を排除することです。パットは次に顧客に会うときまでにチョッパーの構想を練っておかねばなりませんから。

バイクとライダーが一つになれるようにはどうするのか?パットはバイクのあらゆる面がオーナーにぴったり合うよう、顧客の体のサイズを測ります。腕、足、指の長ささえも細かく測ります。さらには自分の手をにぎらせ、顧客の握力も把握し、靴のサイズも調べあげます。これから出来上がるバイクの詳細について、すべてあなたに伝えてくれます。

顧客とのコミュニケーションはこの時点で終了し、あとは顧客がバイクを受け取るまで変更はありません。そして、パットは顧客の力量を試すのです。

「俺はあんたをバイクに乗せる。バイクの洗車もさせる。あんたがこのバイクについて知るべきこと全てを知ってから、俺はやっと安心してあんたをここから送り出す。あんたがコイツの支払いのために週80時間働いている機械技師だろうと、大金持ったロールスロイスのオーナーだろうと、関係ない。俺の手がけるバイクに乗るってことは、俺の流儀に従がわなくちゃならないってことさ。」


(画像元:CYCLE WORLD.COM

まとめ

チョッパースタイルは、自由な発想でありながら美しさも追求されます。もともとは余分なものをそぎ落としスリムにすることが目的とされましたが芸術的な造形美にいつしかバイク乗り達は魅了されていきました。

現代にも多くのチョッパーカスタムビルダーたちが存在しますが、そんな彼らも間違いなくパット・ケネディーの作品の影響を受けているはずです。

チョッパーは眺めているだけでも飽きることはありません。そのバイクがダイナミックな大地を背景に駆け抜けることで、その芸術性はさらに高みに向かいます。
最高のビルダーに自分のバイクを作ってもらう、そんなことが実現する日が待ち遠しいものです。


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