ハーレーオールドスクールの原点:1910年

(画像元:Megadeluxe

「ハーレーダビッドソンは遅くて曲がらない。」これが世間一般の認識だとすれば、今日お届けする事実であなたのハーレーに対する見方は変わるかもしれません。実は歴史を遡れば、ハーレーダビッドソンこそ世界一速いマシーンでした。

約100年も前にすでに完成されていた技術は、ある過激なレースによって培われていきました。あなたのハーレーにも脈々と流れる狂気とも言えるDNAを紐解きます。

 


The Motordrome – Board Track Motorcycle Racing

 

板の上の戦場、バイクレース『モータードローム』

(記事元: Riding Vintage


(画像元:Sport Rider

1. ハーレーレース史の幕開け

20世紀になると、ハーレーダビッドソンやインディアンのようなオートバイ会社が一般市場向けにオートバイを生産し始めました。最初のオートバイレースの正確な日付はわかりませんが、道路にオートバイが2台あれば、直ちにレースが行われたに違いありません。

オートバイメーカーがアメリカ中に続々とでき始めたので、オートバイレースは公式な会場で開催されるようになりました。初期のレース会場は、競馬用のダートトラックや、競輪場で開催されました。1900年代初頭のオートバイには十分でしたが、次第に高まるレース人気に伴い、モーターサイクルのスピードが時速100マイル(約160キロ)に迫ってきたため、専用トラックが必要になってきました。

レース会場となるボードトラックやモータードローム(オートバイ競技場)は、レース専用の設計で、オートバイと自動車の両方で使用されていました。

今では考えられませんが当時の木材は安価だったため、木材でトラック全体を建設しても、法外なコストがかかることはありませんでした。それでも、モータードロームを建設するのに必要な工数は、特にその距離を考えると、莫大なものだったに違いありません。

平均的なトラックの長さは1.6kmでしたが、その倍の3km近いトラックもいくつかありました。5cm × 10cmと、5cm × 5cmの荒削り材を使用して、トラックの表面を作りました。1.6kmのトラックを建設するのに必要なボードフィート数を考えると、めまいがしそうです。


(画像元:Discovery Channel

2. 時速160kmで駆け抜けるハーレーダビッドソン

コーナーは、傾斜をつけ、ライダーが時速約160kmのスピードを維持できるようにしました。傾斜は25度から始まり、外側では60度に達することもありました。

トラックは小まめなメンテナンスが必要でした。レースの激しい衝突によるダメージだけでなく、風化によるダメージも著しかったためです。当時は今ほど優れた木材防腐剤がなかったので、トラックの表面全体を少なくても5年ごとに交換する必要がありました。そのためほとんどのトラックは、数年使われると解体されました。

 

1915年までに、アメリカ中では少なくとも6つのボードトラックが稼働していました。以下の部分的なリストには、トラックがあった町、トラックの長さ、稼働期間が、一部記載されています。

  • カリフォルニア州プラヤデルレイ  1.6km 1910-1913
  • カリフォルニア州エルムハースト 0.8km 1911-1913
  • イリノイ州シカゴ(メイウッド) 5,1km 1915-1917
  • デモイン            1.6km 1915-1917
  • ネブラスカ州オマハ       2.0km 1915-1917
  • ニューヨーク州ブルックリン   5.1km 1915-1919
  • ユニオンタウン         1.8km 1916-1922
  • オハイオ州シンシナティ     5.1km 1916-1919
  • ワシントン州タコマ       5.1km 1915-1921
  • カリフォルニア州ビバリーヒルズ 2.0km 1920-1924
  • カリフォルニア州フレズノ    1.6km 1920-1927
  • カリフォルニア州サンカルロス  2.0km 1921-1922
  • カリフォルニア州コタッティ   2.0km 1921-1922
  • ミズーリ州カンザスシティ    2.0km 1922-1924
  • アルトゥーナ          2.0km 1923-1931
  • ノースカロライナ州シャーロット 2.0km 1924-1927
  • カリフォルニア州カルバーシティ 2.0km 1924-1927
  • ニューハンプシャー州セーラム  2.0km 1925-1927
  • メリーランド州ローレル     2.0km 1925-1926
  • フロリダ州マイアミ       2.0km 1926-1927
  • ニュージャージー州アマトール  2.4km 1926-1928
  • ニュージャージー州ウッドブリッジ0.8km 1929-1931
  • オハイオ州アクロン       0.8km (期間不明)
  • ペンシルバニア州ブリッジビル  0.8km (期間不明)


写真:ワシントンのレース場。レースには多い時には10,000人を超える観衆が集まった。
(画像元:Wikipedia

ボードトラックレースが、観客にとって、とてつもなくエキサイティングなイベントだったことは間違いありません。オートバイは時速160km以上で走り抜け、すべてのオートバイメーカーの最高の技術が競われていたわけですから。

ハーレーダビッドソン、インディアン、エクセルシオールなどのメーカーは、すべてファクトリーレーシングチームを持ち、ファクトリーレースバイクをカスタムビルドしていました。

ジム・デイヴィス、オットー・ウォーカー、アルバート・シュリンプ・バーンズなどの伝説的レーサーたちは、1910年代から1920年代にかけて歴史を記録し続けました。


(画像元:Discovery Channel

3. ハーレーライダースーツの起源

『危険』以上に人を興奮させるものはありません。そして、ボードトラックレースには、ありあまる危険がありました。ライダーたちは安全性などほとんど問題にしなかったようです。

当時のオートバイには、ブレーキシステムさえありませんでした。ライダーのレーススーツと言えば、レザーヘルメット、ウールセーター、レザーゲートル、ズボン、手袋、ブーツがセットになったくらいのものです。例えライダーがクラッシュの後自力で抜け出せたとしても、木切れが全身につき刺さって穴だらけになってしまっていたかもしれません。

1912年、ニュージャージで行われたレースでは、観客もレーストラックの危険から免れることができませんでした。観覧スタンドは通常トラックの上に建てられていたため、ライダーが群衆に直接衝突することが全くないわけではなかったのです。エディー・ハシャがオートバイのコントロールを失って群衆に突っ込み、巻き添えに4~6人の死者を出して自らも死亡しました。


(画像元:Discovery Channel) 写真:事故後の新聞記事

4. ハーレーがHOGと言われる理由とは?

1920年代後半には、ボードトラックレースは急速に終盤にさしかかっていました。大恐慌がレースに財政的影響を与えたのは明らかでしたが、終焉を迎えることになった最大の要因は、死者の数でした。何人かの有名なライダーが命を落とし、マスコミに「マーダードローム(殺人競技場)」というニックネームを付けられました。若き最速のアルバート・シュリンプ・バーンズも1921年にトレドで衝突事故死。エディ・ブリンク、1927年にマサチューセッツ州スプリングフィールドでレース中に死亡。レイ・ワイシャール、1924年にロサンゼルスでレース中に死亡。ワイシャールは「レッキング・クルー」と呼ばれたハーレーダビッドソンレーシングチームの一員で、チームのマスコットである豚を抱いて、よく写真にとられていました。ハーレーのニックネーム「豚(hog)」はここから来ていると言われています。


(画像元:Selvedge Yard

 

まとめ

 

自動車をはじめ、モーター産業の歴史は20世紀に幕を開けたばかりの産業です。21世紀の現代からみればこの100年余りに起きた進化とイノベーションの数々は驚くべきことでしょう。

今や時速300kmを超えるマシーンが登場し、安全性も飛躍的な進歩が見られます。バイクが生まれた当初は、単純に『速い自転車』だったのかもしれません。ほんの男たちの子供じみた戯れだった草レースが、多くのを人を魅了し、技術革新にまで進展するとは誰が想像できたでしょうか?

レースは未だに世界各地で行われ人とマシーンとが世界の頂点とその先の未来に向かって今日も全開で走り抜けています。


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