ハーレー好きの友人へも5分で話せる! 「ハーレーダビッドソンの歴史」

今や世界のバイク乗りで知らない人はいないでしょう。日本では「ハーレー」の呼び名で親しまれているキングオブモーターサイクル「ハーレーダビットソン」

・その原点は?
・なぜ有名になったの?
・日本にはいつ頃から?

など、その栄光の歴史の分岐点をコンパクトにぎゅっと濃縮してお届けします。


1. ハーレーダビットソン誕生!

1-1. ハーレーダビットソン社とは

プロトタイプ誕生は1903年ですが、法人としては1907年からとなります。

 

兄のウォルターが社長兼総務部長、弟のアーサーが秘書兼総務販売部長のダビッドソン兄弟とチーフエンジニア兼設計者としてウィリアム・S・ハーレによってウィスコンシン州ミルウォーキーにて法人化、第1次、第2次の世界大戦を潜り抜け、世界恐慌を生き残った、アメリカの2大オートバイメーカーの一つです。長年インディアン・モトサイクルとは、レースやセールスで競い合いアメリカのバイク産業を発展させていきました。

1-2. ハーレー生みの親:3人の熱きアメリカ青年たち

1900年、世界的な自転車ブームの中ミルウォーキーの小学校の頃から仲が良く、そろって自転車狂だったウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダビットソンは実用的なオートバイの設計に強い興味を持つようになっていました。

写真:アーサー・ダビッドソン(画像元:Harley-Davidson Museum

 

写真:ウィリアム・S・ハーレー(画像元:Harley-Davidson Museum

 

 

その年の秋、ハーレーとダビットソンの二人は自ら製作したモーターバイクエンジンで実用型のペダル自転車のフレームを使いテストを開始しました。

写真:ハーレー一号が制作された小さな小屋(画像元:Harley-Davidson Museum

 

後にアーサーの兄ウォルター・ダビッドソンが加わり共通の友人の小さな店を借りることで、1903年早春に「ハーレーダビットソン」の最初のプロトタイプモデルが完成することになるのです。

写真:ウォルター・ダビッドソン(画像元:Harley-Davidson Museum

ちなみに、なぜハーレーダビットソンとハーレーの名前が先なのか?それは心臓部であるエンジンをハーレーが全体的に設計をしていたのとプロトタイプの開発の価値を認めてのことだった、と言われています。


1-3. ハーレーVツインエンジンの始まり!最初は単気筒だった!?

写真:シリアルナンバー1のハーレーダビッドソン車両(画像元:Harley-Davidson Museum

1905年、1906年のハレーマシンの全ては440ccの単気筒エンジンでした。1907年ハーレーダビットソンは工場を拡張し、新工場での生産台数は150台まで増加します。

そんなおり、その年の2月シカゴの自動車ショーにハーレーの代名詞ともいえるV型2気筒エンジンが初展示されることとなります。

(画像元:Harley-Davidson Museum

 

V型エンジン搭載マシンの製造は1910年までわずかな生産台数でしたが、性能としては単気筒エンジンの倍のパワーで最高速度は時速100キロと驚異的な差で生産台数は1908年に450台、1909年には1149台へと飛躍的に増加しハーレーといえばVツインエンジンとなっていきます。


2. ハーレーダビットソンの歴史にある光と影


2-1. ハーレーの名を知らしめた300マイルレース

写真:ハーレーのレースチーム(画像元:Harley-Davidson Museum

1916年にカンザス州ダッジシティで行われた300マイルレース。ハーレーの代名詞とも言えるOHV1000ccVツインエンジンを搭載したマシンが優勝するだけでなく、7位までに6台のハーレーが入賞する快挙をおこし全米に「ハーレーダビットソン」の名を轟かせることになるのです。


2-2. ハーレーらしさを失いかけた、AMF傘下での暗黒の12年間

世界大戦下では軍事用としてオートバイを提供、紆余曲折しながらも、

世界恐慌まで乗り越えてきたハーレーダビッドソンも1960年以降のキューバ危機やケネディ大統領の暗殺、ベトナム戦争のドロ沼化など、アメリカ経済停滞の影響は避けられず1969年ついにアメリカン・マシン・アンド・ファウンドリー(AMF)と業務提携を結ぶことになり、以後12年間AMF傘下の一部門となってしまいました。この時期にリリースされたマシンには「AMF Harley-Davidson」のロゴが刻印されています。


2-3. AMFからの脱却、そして復活!

写真:株式のバイバックに成功した新生ハーレーダビッドソン(画像元:Harley-Davidson Museum

1970年後半からAMFのハーレーに対する意欲の無さが如実に現れるようになり、そのことで品質が低下してゆきます。結果としてユーザー離れを引き起こすことになりました。そして1981年に危機感を抱いた投資家グループ13人が8000万ドルで買い戻し、再び独立することになるのです。

その後、新しいハーレーダビッドソンの経営陣はあえてレトロに、初期のモデルや当時のオーナー達が行ったカスタマイズの風合いを採用したモデルを生産してゆきます。

電装系やホイールなどは外国企業に外注することで品質を高め、売り上げも回復してゆきました。この回復劇が現在のハーレーダビットソンに繋がっていくことになります。

 

3. ハーレーは『陸王』として日本で登場!

(画像元:wikipedia

日本に初めてハーレーダビットソンが入ってきたのが、1912年(大正元年)日本陸軍が軍用車両として輸入したものでした。

ただ、奇妙なことにスペアパーツが一つとして注文されませんでした。

「ハーレーダビットソンは大体において故障なし」とうたった広告をそっくりそのまま信じたことが原因だったようです。

昭和になると日本での現地生産へとシフトしていきます。オートバイなど自動車産業の国産化の動きが高まったこと、輸入車への多額の関税の影響を受け日本国内での販売価格は高騰しゆきました。

1933年当時の輸入元傘下でもあった製薬会社の三共(現:第一三共)は日本での現地生産をハーレーダビットソン本社へ申し出ることになります。

そうして日本国外に輸出しないことを約束に「陸王」の名で日本版ハーレーダビッドソンが誕生することになるのです。


まとめ

コンパクトに凝縮してハーレーの栄光の歴史を見てきました。今では世界にその名を轟かせる「ハーレーダビッドソン」は100年以上の歴史があるため、ここで紹介した出来事はほんの一部にすぎません。

ある若き青年たちの純粋にオートバイを作ってみたい!という好奇心は、いま世界中で熱狂的に愛されるモーターサイクルカンパニーとなりました。

ハーレーはピュアで熱烈な情熱が注ぎ込まれ、いまだにその熱は継承されています。現代のハーレー乗りもまた、このバイクの歴史を紡いでいると言えます。

 


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