ハーレービッグツインの歴史:ナックルヘッドの進化

ハーレーダビッドソン・ナックルヘッドVツインは、1936年に発売されました。ハーレーダビッドソンOHVビッグツイン第一号の、1000㏄エンジンの技術的進化について、見てみましょう!

 


1. ナックルヘッド誕生

 

写真:1936年、ハーレーダビッドソンのナックルヘッドは、公称最大出力36馬力。

1931年

ハーレーダビッドソン取締役会は、1000㏄プッシュロッド・アンド・ロッカー・オーバーヘッドバルブ(OHV)エンジンの開発を承認します。このエンジンは、前時代を支配していたフラットヘッド、すなわちサイドバルブエンジンの慢性的問題を解決すべく作られました。ロッカーボックスの先端がナックル(握りこぶし)に似ていたので、「ナックルヘッド」エンジンと呼ばれます。

ハーレーのエンジニアたちは、8バルブレーサー、ピーシューター・シングルその他のスペシャルプロジェクトにまでさかのぼって、OHVエンジンは既に経験済みでしたが、量産型OHVとしてはナックルヘッドが第一号になっています。

 

2. ナックルヘッドエンジンの課題

サイドバルブエンジンの積年の課題は、その過熱する排気バルブシートと排気ポートが、シリンダーの部品としての役割を果たさねばならないということでした。エンジンがパワーを出せば出すほど、これらの部品は熱くなり、シリンダーを歪めて、オイルコントロールと燃焼ガスの密閉を困難にしてしまいます。この課題解決のためには、航空機エンジンやレーシングカーのメーカーがやったことを踏襲するのが良いように思われました。

つまり、シリンダーヘッドの中に二つのバルブを移すのです。そこなら、排気熱はシリンダーの丸みにさほど影響がありませんでした。しかしOHVに対する反対意見も無視はできませんでした。とりわけ顕著だったのは、重大なオイル漏れなくシリンダーヘッドまでオイルを循環させるという課題とに取り組まなければ、バルブとロッカーアームの適切な潤滑は容易でない、という意見もあったからです。

新しいエンジンのもう一つの主要な改良点は、ポンプ式の再循環オイルシステムでした。前のエンジンはいわゆる「トータルロス(全損)」によって潤滑されていました。つまり、ライダーまたはドリップフィードが必要に応じてクランクケースにオイルを注入するのです。そのオイルはクランクシャフトの動きによって駆動箇所に投入され、最終的にはピストンリングとバルブステムを通ってなくなります。このシステムは出力が小さい時代には十分だったのですが、ライダーたちがより高い性能を求めるにつれ、クランクケースに存在するわずかなオイルが異常に高温になり、粘度と潤滑性を失っていったのです。

3. ナックルヘッドに与えられた解決策とは?

このようにして、「E」は現代的「ドライサンプ方式」の給油システムを与えられました。その中では、(クランクケースの後部にあるタイミングケースの真後ろに位置し、クランクからの交差軸歯車によって駆動される)ダブルギアタイプのオイルポンプのプレッシャーサイドが、タンクからオイルを引き込み、駆動箇所に循環させます。その一方、ポンプのスカベンジセクションはクランクケースから投げ捨てられたオイルを回収し、オイルタンクへ戻しました。循環式オイルシステムの存在はまた、エンジン内の極端な温度差をならすようにも働きました。つまり、最も温度が高い部分を冷やすことになったのです。

このエンジンは、1930年代に実際に使われていた典型的なバルブを含めて90度に作られ、精密な半球のチャンバーに組み込まれました。これは当時典型的だった6対1の圧縮比と整合しました。長めのストロークを使いフラットトップのピストンがこれを実現したのですから。これは燃焼室を全開にさせたまま、吸気速度をフレイムスピーディング・タービュランスとして残しています。バルブタイミングは0.878cmリフトで、吸気10/51、排気40/12に調整されます。シングル4ローブカムシャフトはクランクからギア駆動され、ローラタペットは二つのボルトオンタペットブロックに運び込まれました。

写真:ナックルヘッドエンジン構造の主な問題点は、オイル漏れ、バルブスプリングの破損、ロッカーの潤滑不足、先端からのオイル漏れ、などだった。

このエンジンのヘッドとシリンダーは、鋳鉄で作られていました。鋳鉄は、熱を伝導する能力に限りがある素材です。それにも関わらず、ヘッドは、空冷のフォーアンドアフトフィンを想定して綿密に設計されていました。その空気は、バルブロッカーエンクロージャーの下を自由に通ってきたり、その下のいくつかのほぼ円形のフィンによって送られてくるのです。鉄は長い間、ヘッドとシリンダーの材料として好まれていました。なぜなら、鉄は複雑な形状に鋳造することができ、バルブをそれに直接設置することができるほど硬く、オイルを保持し耐摩耗性のあるシリンダー表面を作ることができたからです。クランクケースはアルミニウムで鋳造されていました。

「E」エンジンは、熱を扱う能力が向上し、オイルを循環させるシステムを持ち、吸気と排気の流れがよりダイレクトになったため、ライダーは基本的に倍の力を手に入れることができたのです。Eモデルは37馬力、ELモデルは40馬力、回転数は双方4800rpmを記録しました。

 

4. 進化し続けたナックルヘッドの歴史

1936年

春の発表では、1000㏄(61-cu.-in.)Eモデルは、ボア(内径)とストローク(行程)が84mm(3 5/16in.)×89㎜(3 1/2in.)で、988㏄(60.3 cu. in.)でした。

クレードル・ツイン・ダウンチューブフレーム、加重したフォーク、馬力は6:1の圧縮比でおよそ36です。4速のコンスタントメッシュ(常時噛合式)トランスミッション(インディアンはまだクラッシングギアの歯で横のメッシュにシフトしていました)、マルチプレートクラッチ、256㎏の車体を3.8ℓのオイルが潤していました。ポンプで潤滑システムを動かすドライサンプ方式。使用されているシングル4葉カムは、不平行・不等長プッシュロッドが必要です。

細部設計作業の多くはハンク・シバートソンとジョー・ペトラリが行いました。Eモデルは、主にロッカーボックスからのかなり深刻なオイル漏れがあったにも関わらず、反対を押し切って、6月に発売されました。この慢性的なオイル漏れの大きな原因は、密封されるべき表面の複雑な形状にありました。

その形は野心的過ぎたのです。ヘッドの熱の上昇と下降に合わせ、ガスケットには内部の膨張と収縮による負担がかかります。このことは、今日でもなお難しい問題のままです。ロッカーボックスは分離され、4つのキャストオンラグを経由してフィン付きヘッドにボルトで留められました(プラット・アンド・ホイットニー社のアンドリュー・ウィルグースがキャストインテグラル・ロッカーボックスの特許を取っていました)。鉄のヘッドは5つの短い金具で留められ、5つの水平フィンをつけていました。前部排気口は下方に向くよう100度回転します。リンカート式フロートキャブレーターが1965年まで使われました。シリンダーは4つの短いベースボルトでそれぞれクランクケースに取り付けられていました。

【訳注:プラット・アンド・ホイットニー(Pratt &Whitney)はアメリカの航空機用エンジンメーカー。民生用から軍事用まで広く手がけており、GE・アビエーション、ロールス・ロイスに次ぐ、航空機用エンジンのビッグ3の一つ】

 

ヘッドはトップに13個ものフォーアンドアフト・フィンがついていて、これは当時のベストプラクティスでした。ロッカーエンクロージャーの下に空間を作ることによって、冷却風がこれらのフィンに届くようになったのでした。

【訳注:ベストプラクティス(best practice)は、ある結果を得るのに最も効率のよい技法、手法、プロセス、活動などのこと。Wikipediaより】

 

クランクシャフトは、慣行どおりオールローリングベアリングを使用し続けていました。それぞれの鋳鉄製フライホイールは、それ自身のスタブメインシャフトによって支えられ、テイパーとウッドラフキーとナットで留められていました。そして二つのフライホイールは、同じ方法で固定された合金鋼クランクピンでつながれていました。クランクピンは直径2.857cmで、0.635㎝転動体(ローラー)のための4.127㎝軌道輪(レース)がついていました。1940年代を通して、フライホイールの外径は20.637cmでした。フォーク型コンロッドは、前モデル同様使用され、共通の平面にシリンダー軸を配置していました。代替案は、V-8自動車エンジンで使われていたように、共通クランクピン上にコネクティングロッドを並べて配置することでした。しかし、これは、必要不可欠なシリンダーオフセットのために、左右に揺れる一対を作り出します。

最初のエンジン構造は、オイル漏れ、バルブスプリングの破損、ロッカーの潤滑不足、先端からのオイル漏れの問題を抱えていました。ばね用冶金術が進歩し、ロッカーが設計し直されてから、修理キットがおよそ1900台の欠陥がある新しいバイクを修理するためディーラーに送り出されました。

 

1938

当初、バルブのスプリングと突き出したバルブステムは、確実に冷却するために囲われていませんでした。当時の他のメーカーのOHVエンジンでは、それが普通だったのです。この年、完全密閉方式が採用されました。

 

1939年

強化バルブスプリングとスプライン加工されたオイルポンプ駆動ギアを採用。

 

1940

ナックルヘッド・フライホイールの直径は、21.59㎝まで大きくなり、ハーレーダビッドソン・エボルーションVツインまで21.59㎝のままでした。

 

1941

1000㏄を1212㏄まで増やしたナックルヘッドは、FLと呼ばれています。カーペンターズ・ミージャーでは、これは3 5/16 x 3 31/32インチでした。

 

1945

戦後、英国がそのオートバイ製品の70%を輸出していたのに、ハーレーダビッドソンは注文に応じることができなかったと言われています。なぜなら、スティール、アルミニウム、そしてゴムの輸入制限がまだ解かれていなかったからです。関税の減額は、戦後のマーシャルプランエイドの一部でした。そしてこれは、英国のオートバイを人為的に安くするものだと主張されました(英ポンドが戦前5ドルだったのが、戦後3ドルになったこととも関係しているでしょう)。また、アルミニウムは戦前高価だと思われていたのですが、何千という戦時航空機やエンジンがスクラップにされるやいなや、安価になってしまいました。戦時中、アルミニウム価格は1ポンド(453g)15セントに固定されていたのです。

 

まもなく、「ナック」の再設計を強いる変化が訪れました。1945年8月に第二次世界大戦が終わると、合衆国経済は民生問題に移行しましたー農村部の未舗装道路はアスファルト舗装され、ペンシルバニア・ターンパイクのような4車線の高速道路が増やされ、ライダーたちはもっと早くもっと遠くまで走れるようになりました。エンジンは、パワーを出せば出すほど、より多くの熱も放散させなければならないのです。

 

まとめ

ナックルヘッドはその美しさも際立ちます。当時の競合インディアンと競り合う中で、時代はハイスピードを求めたいきました。新しく生まれたこのエンジンは1937年3月17日デイトナビーチで、ジョー・ベトラリを乗せて217.8928km/hを記録しました。その背景だけ見ても傑作のエンジンだったことが伺えます。生まれるべくして生まれたハーレーOHVエンジンは、今もなおその魅力を放っています。


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エンジンは社会の縮図とも似ている。ネジ一つですら欠けるわけにはいかねぇんだよ。

– ハーレー仙人 –

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